井上明浩監督(右)の指導を受け、スタートの練習に励む石黒晶雄さん=金沢市の県西部緑地公園で |
「オンユアマーク」
その号令を聞くと、自然と気合がわいてくる。「よし、結果を出すぞ」。心を落ち着かせてスタートラインにつく。全力で腕を振って走る。前へと。
100メートル、200メートル走に励む金沢市の石黒晶雄さん(22)には軽度の知的障害がある。母の美智子さん(47)は「幼いころからうまく円を描けなかったり、靴ひもを結べなかったりと気になるところはあった」という。
いしかわ特別支援学校を卒業した十八歳のとき、就職にあたり、地元金沢の陸上教室「春風(しゅんぷう)クラブ」に入った。支援学校でも陸上部にいた。「仕事だけじゃ怠け者になるから」と気楽に続けるつもりだった。
ところが、競技用のスパイクを履き、専門的な指導を受けるようになると、記録はぐんぐん伸びた。「自分は速いんだ」と自信が持てた。二年後の全国障害者スポーツ大会は200メートルで銅メダルを獲得した。
春風クラブでは知的、身体障害者の約五十人が活動する。創設した一九九一年から指導する井上明浩監督(58)は「根気、のんき、元気」をモットーにする。人によって、障害の程度も特性も違う。スターティングブロックの置き方も、できなければ千回でも繰り返し教える。その分、一緒に前へ進める喜びは大きい。
自身も現役で走る。「引っ張る走力はなくなってきたが、ともに歩むアスリート、パートナーでありたい」と今も体を鍛える。
石黒さんには職場の応援も追い風だ。前の勤務先は「陸上をする前に仕事を覚えて」と、大会の出場に理解を得られなかった。昨春から勤める地元の渋谷工業では有給休暇を取れる。
会社からすれば「特別な配慮でなく一般社員と同じ制度内」でも、それがありがたい。「両立できて、両方頑張ろうと思える。いろんな支えがあって走れている」と感謝する。
夢ができた。二十代のうちに100メートルで10秒台を出すことだ。今のベストは11秒69。けがも続いたが、「失敗しても挑戦する意欲がある」と言い切れる新しい自分を見つけた。
クラブはパラリンピック選手を過去に二人輩出した。井上監督は「脚力とセンスがある。世界も狙える」と期待をかける。
「伴走」してくれる人、地域がある。だから何度でもスタートラインに立つ。「楽しくて、笑顔になれる。夢中になれて疲れが吹っ飛ぶ」
■文・小坂亮太 ■写真・泉竜太郎
◇ ◇ ◇
東京五輪・パラリンピックの年が明けた。北陸でも裾野が広がってきたパラスポーツ(障害者スポーツの総称)。障害者たち、ともに活動する人たちの姿とその可能性を伝える。
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January 03, 2020 at 09:50AM
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【ともにパラスポーツの足元】 走れば笑顔 地域伴走 - 中日新聞
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