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「魚が獲れない時代」をどう生き抜くか〜キャリア35年の漁師が語る日本の海と台所の話〜 - メシ通

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食卓から魚が消えるかもしれない──。
そんな言葉が叫ばれてから久しい。

安い魚の代表格だったイワシが漁獲量不足で高値になることもあるし、今年はサンマの不漁が話題になった。食卓の定番だった魚は、少しずつ環境や世界情勢の変化の影響を受けている。

そして同時に「日本人の魚離れ」も起きている。私自身、家では魚料理よりも肉料理ばかり作ってしまうせいか、スーパーで見かける魚の価格変化に鈍感だ。魚価の低下、漁獲量の減少、漁業者の高齢化と日本の漁業を取り巻く環境が厳しくなっているニュースを耳にする一方で、消費者の危機感は薄い。

漁師の目には、この十数年の漁業を取り巻く変化はどのように映っているのだろうか。花形と言われ、かつては儲かる仕事の筆頭だった漁師。漁師の視点からのリアルな話を知りたい。

そこで向かった先は長崎長崎市野母(のも)町。

漁師歴35年の三浦尋生 (みうらつねお)さんに話を聞かせていただくことで、海の生態系、流通、漁村にどのような変化が起きてきたのかを探ってみたい。ここで聞く話は、私たちの未来の食卓に繋がっているはずだ。

夜明けとともに定置網漁へ

三浦さんが代表取締役を務める来亀(くるかめ)漁業の船に乗り、定置網漁に同行させてもらった。

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▲日の出とともに大海原へ。まだ星が輝く空と、明るくなっていく山の稜線のコントラストがたまらなく美しい

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▲定置網を仕掛けている沖合へ。11月の冷え込む朝だったが、吹き抜ける潮風が爽快に感じられた

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▲遠目に軍艦島が見える

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▲定置網を仕掛けている場所へ到着。反対側に見える船と連携して網に入った魚を揚げていく

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▲追い込んだ魚をタモ網で獲る

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▲漁が終わった後、魚を仕分けながら港へ戻る

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▲鮮度を保つために氷と海水で魚を冷やす

漁師から見た海の生態系の変化とは?

──35年の漁師人生で一番変化を実感したことは何でしょうか?

三浦さん:明らかに網に入ってくる魚に変化があるたい。昔はたくさん入りよったケンサキイカやコノシロが年を追うごとに減っていった。35年の間におらんごとなった魚は何種類かある。やっぱりね、マスコミやメディアでしょっちゅう地球温暖化が流されるけん、そのせいかなと思ってしまう。

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▲網に入った魚を日々引き上げる漁師の目は、魚種の変化を敏感に捉えている

野母町では秋、冷たい東風が吹くと産卵期を迎えたボラの大群が押し寄せていた。ボラの卵はからすみを作るのににちょうど良い頃合いで、品質の良いからすみが作られた。しかし、海水温の上昇のせいか、最近では野母町にやってくる頃には卵が育ちすぎていたり、産卵を終えたりしているものが増えているそうだ。

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▲野母町はからすみの有名な産地。からすみの材料となるのはボラの卵だ

地球温暖化とそれに伴う海水温上昇。海の中の生態系はゆっくりと、しかし着実に変化している。野母町で獲れなくなった魚や旬がずれた魚がある一方で、初めて見る南方系の魚が網に入るようになり驚くこともあるそうだ。

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▲ソウシハギ。南方系の色鮮やかな魚だ(三浦さんのブログより)

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▲どんな魚が入っているか、引き揚げるまでわからない。この日はシュモクザメの姿が

三浦さん:あとは全国的に海藻が減って磯焼け問題になっとる。原因の一つは、草食魚類が増えすぎて海藻を食い荒らすようになったこと。行政も動き始めて「草食魚を食べましょう」という流れになっているけれど、結局、漁師が魚を獲る獲らんは、お金になるかならんかたい。そこに利益が回ってこないと漁師にとっては難しいね。

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▲ちなみに、草食魚に関してはかまぼこの材料にもなる。(※長崎のかまぼこはすり身を揚げたタイプのものが多い)地元のかまぼこ店が大量に仕入れるので流通しているところには流通している(画像提供:三浦さん)

磯焼け問題は、海水温上昇の影響も大きい。海藻は草食魚類が活動できない冬の低水温の環境で成長していたが、海水温上昇に伴い冬場でも草食魚類の活動が活発になったのだ。

三浦さん:高校の時、水産生物の先生から「魚類は0.1℃の水温の変化を敏感に感じて移動する」 と教わっとった。最近それをよう思い出すね。

気象庁によると、日本近海における2018年までの約100年間で海域平均海面水温は1.12℃上昇している。海の中の1.12℃の上昇は、地上と比べものにならないほどの影響がある。

参考:気象庁|海洋の健康診断表 海面水温の長期変化傾向(日本近海)より

www.data.jma.go.jp

引き上げた定置網には玉石混交の魚たちが

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魚価の低下、漁獲量の減少、燃料の高騰と漁業を取り巻く状況は過酷だ。環境問題への取り組みは急務とされているものの、ただでさえ厳しい漁業の状況で利益の上がらない取り組みは難しいだろう。

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▲定置網漁は魚を追いかけて獲る漁法とは異なり、魚の動きを読んで網を設置するため「待ちの漁」とも呼ばれる。過剰漁獲に陥りにくく、持続的な漁業が可能なため「資源管理型漁業」といわれている。さらに、網を巻き取ったり引きずったりしないため魚に傷を付けることなく漁獲できる

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▲この日の漁で獲れたのは、スマ、ハガツオ、メアジ、マアジ、サバ、イサキ、ソウダガツオ、アカカマス、ヤマトカマス、タチウオ、カンパチ、ヨコスジフエダイ、ウスバハギ、ヒラメ。シュモクザメは食べないので海に逃がした

保存・輸送技術の発展がもたらしたもの

──魚の流通は35年の間にどんな変化がありましたか?

三浦さん:輸送技術や活魚車など、魚ば沖から揚げる時の技術がものすごい進んどる。今は水族館でイワシの飼育をしているところがある。ちょっと前なら考えられんことやもんね。あんな弱りやすい魚。そういうのがそのまま食に繋がるたい。

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▲魚に弱いと書いて「鰯」。水から揚げるだけで弱る魚だが、近年は生きたまま水揚げできる活魚車によって運べるように(画像:三浦さんのブログより)

輸送技術の発展で、弱りやすい魚も新鮮なまま流通できるようになった。しかし、だからといって水揚げされた魚をすべてうまく活用するには、まだ課題が残る。

三浦さん:果たして知らない魚を送っても受け入れられるかどうか。名が知られていない魚はお店側としてもそれを売るために努力せんばたい。努力ってコスト。他に売れる魚があるなら、ほとんどはそういう冒険をしないと思う。

もちろん、中には例外もある。

三浦さん:アカムツ(ノドグロ)なんかは、うまくブームにのった魚。テニスの錦織選手が好きって言ってからさらに火が付いたよね。弱りが早いけど最先端の技術で運んでいると思う。魚が有名になればそこに輸送技術ば金かけても儲けがある。

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▲港に到着

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▲滑るので注意

今の時代、食のブームは有名人が紹介したり、話題にすることがきっかけで訪れることも多い。

かつて「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」と山口素堂が句に詠んだように、魚を見て四季の変化を感じていた日本人。そういった側面は保存・輸送技術の発展で少しずつ変化していくのかもしれない。栽培・養殖技術の発展がさらにそれを後押しする。

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▲国内トップの養殖ブリ生産量を誇る鹿児島県長島町。海一帯に養殖の生簀が設置されている

三浦さん:今は山の中でヒラメや無毒のフグ養殖しとるとこもある。海の中で養殖となると漁業権が関係してくるから、場所が限られてくるし許可とるのも大変。その点、山の中なら土地があればいい。人工海水なら雑菌がいないし。

海で生きる魚を、山で育てられるようになったのは驚くべき変化だ。テクノロジーの進化によって食糧生産の形が変わりつつある。人工海水にもいろいろあって、温泉を使うところもあるそう。燃料を使わずに一年中一定の温度をキープできるのはコスト面でもメリットが大きい。

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▲獲れたてのアジはつやつやと輝いて綺麗だった。定置網漁は漁獲から市場までの時間が短いので新鮮な魚を届けられる

漁業人口の減少、漁協の衰退……漁師町のリアル

──魚価低下、漁獲量の減少に対して、漁協単位で何か対策はあるのですか?

三浦さん:うちの地区に限って言うと何も対策はしていない。若い人がいなくなっていて、漁師は年取っていくばっかりたい。漁師もある程度の年齢になったら年金暮らし。一日食べる魚が釣れればいいやってくらいの人も多いから。

野母崎地区の漁師の中で、50代の三浦さんは「若手」の一人だ。三浦さんが漁師の道に進んだ35年前でさえ、すでに下り坂の産業だったそう。

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▲最盛期の頃は、一帯を巻網船団が埋め尽くしていたという

三浦さん:漁業が衰退するっていうことは漁協も衰退していくってこと。職員も減るし、漁協が小さくなると漁業権や許可の取得に影響が出るったい。

魚を高値で売るには漁協の組織力が必要だ。出荷するときに扱い方を工夫して高値を付けたり、ブランドとして打ち出したり。実際、組合一丸となって改革に取り組み成功しているところはある。しかし、足並みを揃えるのはそう簡単ではない。

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▲魚のおいしさを保つために船の上で神経締めをする三浦さん

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▲夕暮れの街の風景。この美しい港町も過疎化の流れには抗えない

田舎あるある。病院で行商!?

ゆっくりと衰退していく漁業。全国各地の漁村で起きている現象だ。

そんな中で、三浦さんは漁師を続けていくために15年前に行商をスタート。漁協に魚を卸す一方で、値が付きにくい魚を奥さんと2人、軽トラで売り歩いた。

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▲漁獲から港までの時間が短い定置網漁。獲れた魚の鮮度は抜群だ

三浦さん:魚価がどんどん下がる中でなんとか収入を上げるには、やっぱり自分の体を使って努力しないと。

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▲魚をパック詰め

この時代に行商を? と耳を疑ったが、その土地ならではのビジネス展開もある。

三浦さん:同じ場所でやらんとお客さん付かないから、曜日と場所決めて。田舎はどこが一番人が集まると思う? それは病院! バス停と病院の間のちょっとした場所で。お客さんは行くときに見て「これとこればちょうだい」って。それを診察帰りに氷入れて渡す。田舎あるあるやろ? 結構売れたね。ありがたいことに町(行政)も協力的で。私有地だとそうはいかない。

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▲地元の産地直売所、みさき駅さんわ

行商を6年続けた頃、野母崎に産地直売所「みさき駅さんわ」がオープン。行商から直売所へ卸すスタイルに切り替えた。ちょうど全国各地で産地直売所が次々とオープンしていた頃だ。

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▲この日も車で「みさき駅さんわ」に鮮魚を届けた。離島の数が全国1位の長崎、車窓からは小さな島がたくさん見える

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▲ショーケースに魚を並べていく。多くのお客さんで混み合っていた

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▲ウツボを出品している漁業者も

地元に飲食店がない……なら自分でやるしかない

直売所へ卸すのを始めたのと同じ年に、自分の飲食店「おおとり丸」をオープン。 

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▲おおとり丸。現在は「のもざき伊勢エビまつり」と「のもざき水仙まつり」の頃に期間限定でオープンしている

三浦さん:飲食店をオープンさせたきっかけは、行商をしていた時にお客さんから「この辺で魚食べるところないですか」と聞かれても答えきらんかったこと。実際なかったけん。じゃあちょっとやってみようかって。その時ツーリズムが流行り始めて、定置網体験と組み合わせて立ち上げてね。

漁師町なのに、当時の野母町には魚を食べられるお店が意外にもほとんどなかった。新鮮な魚がいつでも手に入る地元民は、わざわざ外食で刺身を食べるようなことはしないからだ。

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▲野母町の港にある「朝市食堂HAGEMARU」にて。漁港で直接買い付けた魚が自慢のお店だが、三浦さんが注文したのは唐揚げ定食(800円)。外食であまり魚を食べないのは、まさに「漁師あるある」

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▲左から2番目の黒いジャージの人物がHAGEMARUの店主。来亀漁業が港に着くやいなや、その日水揚げされた魚をチェックしていた

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▲私は魚をたっぷり使った「今日のしゃあ!」(800円)を注文。しゃあは野母弁でおかずの意味

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▲うつぼの煮つけ付き。グロテスクともいえる見た目に反して、あっさり上品な白身がおいしい

漁師ブログで多くの人と繋がる

三浦さん:お店を出して良かったのは、行政、観光、水族館とたくさんの人に会えたこと。絶対俺なんかと出会わんやろうという人たちとも繋がった。お店を始めた頃はこのお店をどげんかして皆に知ってもらわないといかんと思ってブログを始めて。

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▲三浦さんのブログ(長崎野母崎の漁師ブログ)。2004年~2012年まではかなりの頻度で更新していた。現在は休止中

2004年にブログを始めて獲れた魚やお店のことを書いた。その頃はまだ漁師でブログをやっている人は珍しく、「漁師 ブログ」で検索すると当時は一位に表示された。

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▲漁師生活の日々をユーモラスに綴る(三浦さんのブログより)

漁で獲れた魚や漁師の生活を発信する三浦さんのブログは多くの人の興味を引き、おおとり丸に訪れる人が増えた。さらには水族館や大学関係者の目にもとまり、これをきっかけに水族館との付き合いが始まる。

現在、漁で獲れた珍しい魚は県内外の水族館へ送ったり、名前のわからない魚は水族館へ問い合わせたりしている。

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▲三浦さんのブログより

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▲小学校では毎年水産教室を行っている。こちらは今年保育園で開催した水産教室の様子

こうやって話を伺っていると、漁師の仕事は漁法や魚に詳しくなるだけでなく、経営、販売、時流を見る力も強く要求されるのだとわかる。

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▲漁師にはもちろん力も必要。氷と海水が入って重みを増したコンテナさえも持ち上げてしまう

三浦さん:これは漁師をしていたうちの親父の持論だけど、漁師は世界情勢ば知っとかんとできん。

野母町でほかの漁師にも話を聞いてみたが、今の漁師は多種多様な力が要求されていると感じた。例えば漁法に関しても、ひとつの漁法だけで安定した収入を約束されるわけではない。ヒラメ網漁、刺し網漁、潜り、とさまざまな漁法を組み合わせないと魚価の低迷や漁獲高減少に対応していけないという。

そして、海はすべて繋がっている。世界情勢が与える影響は大きい。

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▲港で仕分けをする様子

漁師生活35年。「毎日が刺激的よ」

三浦さん:まあ、いろいろ話したけど、漁師の生活は毎日が刺激的よ。定置網には船より大きなサメやクジラが入っていたこともある。海は全部繋がっているから何がおってもおかしくない。思わぬもの釣るときもあるし、信じられんことがいろいろある。

ひとつの漁具でイワシからクジラまで獲れてしまう。だからこそ定置網を引き上げていく時間は高揚感に満ちていた。

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漁の最中、三浦さんがブイに留まったカモメを見つけて教えてくれた。

私は網に入った魚ばかりを見つめていて、周りの景色が全く目に入っていなかった。三浦さんはいろんなところを本当に良く見ている。

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▲カモメは網から逃げた魚を捕まえて飛び立っていった

日々漁に出る生活は35年前から変わっていなくとも、三浦さんの目はその中で常に新しいこと、面白いものを捉えている。地球規模の環境変化、産業構造の変化という避けられない荒波の中でひたむきに航路を探しながら進んでいる様子から、与えられた環境で精いっぱい楽しく生きる姿勢を教わった。

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そんな三浦さんだからこそ、漁への同行取材はとても面白く感動的だった。話を聞かせてくれた三浦さん、船の上で快く魚の種類や見分け方を解説してくれた船員の皆さんに感謝を伝えたい。

取材協力:来亀漁業、山本春菜

お店情報

朝市食堂HAGEMARU

住所:長崎長崎市野母町2192
電話番号:070-4696-6102
営業時間:11:30〜15:00
定休日:不定休

おおとり丸

住所:長崎長崎市野母町1432-13
電話番号:095-893-2113
※「のもざき伊勢エビまつり」(9月)と「のもざき水仙まつり」(1月)期間のみ営業。事前に電話にてご確認ください。

www.hotpepper.jp

書いた人:横田ちえ

横田ちえ

鹿児島在住フリーライター。九州を中心に取材、WEBと紙の両方で企画から撮影、執筆まで行っています。鹿児島は灰が降るので車のワイパーが傷みやすいのが悩み。温泉が大好きです。

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December 24, 2019 at 09:00AM
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